昨今の騒ぎに思うこと

現状、思っていることがありますが、わたしの見解は世の中的には異端であり排除したい対象であり、極々少数派であることは認識しています。この時点でおおよその見当はつこうかと思います。


この年になるまで歴史などにとんと興味がなく、世界の動きなども政治もどこか別世界の自分に関わりのない切り離した対象であり、自分に何かできることではないからと目を向けていませんでした。
この数年、諸々思うところはありますが。歴史を探ることは大切と感じています。
元国立公衆衛生疫学部感染症室長、故 母里さんのお話をうかがえる機会にも出会え、足を運んでおりました。
母里さんはワクチンの無効性と副反応の危険性を説いておられ、直接お話をうかがえる機会があったら聴きに行きたいと思っていた方でした。
(直接現場に居られた方の言葉は、重かった。「被害者の方たちを二度と出したくない」 「親は連れて行った自分が悪い」 という思いを、共通して持ち続けている、いまも同じことが起きています、と語られていました。母里さんのお話は長くなってしまうので今はおいておき…。)


最近は、
少し前から感じてるのは、この件であーだこーだ騒ぐ界隈は立ち位置が違えど基は同じということ。 昨今目にするのは大抵が、どういう立ち位置にいようが相手を叩くことに終始している印象があり、どちらも自分が正しいという主張の元に発したり行動しているけれど、どちらもやっていることに変わりはないようにしか見えず、心から辟易とし、そのような場には近づかないよう離れています。(健全な議論は別)

自分の信念を実行・主張するのに相手を貶めたり扱きおろす必要はない。
ただ自分がそうあればいい。
相手を下げて自分を上に上げるようなことがあるのだとすれば、それをする背景は何なのか、そこを思う。


蔓延している案件に関し、通じる人とだけ話したいと思うこともなくはなかったですが、結局どういう見解を持っていようが交流したい人は交流したいししたくない人はしたくない。(基盤が違う状態では深めれる上限が設けられそうではありますが)
そして何度考えても、自分の中で、肝要で必須事項であると感じていること、それは当初からずっと変わらない。
(騒動の当初どころかずっと、思っていることにもつながっている。たぶん)

世代に渡り肝要と思うことへ向け、少しでも動いていこうと思います。




促されてます接種は、わたしはしません。

される方はくれぐれも慎重に。
可能であれば、事前と事後の血液検査をされることを、提案しておきます。
Wolfgang Wodarg博士(ドイツ)による、接種前後の血液値測定用フォーム
(参考正常値:Dダイマー 20-400、血小板 140000-345000)



微妙に準備中

ご無沙汰のブログ。既に、とうの昔に停止の辺境地へ訪れる方は居なくなっていると思われますが。
再会?へ向けて準備中です。

まずはブログの再開…



いろいろリンクが切れてたりエラーが起きたりしてますが。
追々、修正していきます。



理由や経緯はどうであれ、そぐわぬ状態をまたキープしてると考える時間を与えられないというか;行動に移さないとどうしようもないような状況に持っていかれる。(こわい)






コンタクトでうけとるあれこれが(さして特別と感じない事柄が殆どのように思う)思わぬメッセージだった…とわかるのはどれもご依頼主さまへお伝えした後ですが。(中には全く的外れな事もあるのだと思うけどみなさんお優しいからあまりお伝えはされないような;)
ほぼ毎回なにかしら感慨無量感を味あわせていただいてる氣がします。
感無量って正直あんまり別の事情では感じない感覚な気がするんだけど(うちの仔とのコンタクトでも感じ無いような気がする)、コンタクト&物理的コンタクトが合わさるからなのか…第三者の人と動物のと愛ある関わりを見ることで感じる感情なのか。この感覚に辿り着く度ものすごくうれしい、ありがとうという感情がわーわー湧きます。ただ嬉しい。感謝の喜び。(文面にすると微妙)

(フィードバックを掲載しようにも内容が全部プライベートに思えてしまうのと要約出来てないのと、したとして今頃許可確認メールをお出しするのもどうなのだと二の足踏んでるのと。(といいつつこれもなにかを怖がっての言い訳かもしれない)
目ぇつむらず、臨んでゆく。当面の目標です。

再開の報せと駄文



うちのこが他界して5ヶ月。(火葬からはまだ3ヶ月なの)
ひたすらコンタクトとったり、からだで接していた時より身近に感じたり、かなしくて悔しくて叫び泣いたり、コンタクトとりにくくなったり、突如平静に出来ること考えてたり。
何れどこかでこれまでの間の話はするかもしれませんが。



この数年の中で、大尊敬している方や大切な友や仲間、ご縁を持って下さった方々そして動物さんたちにも、傷つけたり非礼を渡した状態で、何年も逃げていて。
blogを立ち上げた後もフィードバックを対価にコンタクトさせていただいたり、有料モニター募集として舵を切らせて頂き、ご縁をいただいて参りましたが。特定の場所からエネルギーを受け取り、自らがそのエネルギーを廻す事に躊躇し、ご気分を害してしまった方もおります。

過去ログでも感じるかもわかりませんが、わたしは同じところをずっとぐるぐるしてて。
「大切」という気持ちに対しての選択。
本来であればからだが勝手に動くような事柄に対して、わたしはそうでないと感じる部分があって。(動く部分もあるけども)
どう動くことが自分にとって心地よいのか、不要な意識や惰性を挟まず行動して行くのか行かないのか。


漠然と感じていることは。
いのちを繋いでいく行為、そのシステム、そのあたりに触れていくことで、得ていくこと、それが、自らに対してもまわりに対しても一緒に暮らしてゆく仔達にも、わたしがしたかったことへと繋がっていくのではなかろうかということ。



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これはこつつぼ。
火葬からの骨壷は芳香剤の匂いがとんでもなくて涙(お手洗い的な) 陶器なのもなんだかな~と先代の時から思っていて。作っていただいて。(自己満足)
サイズは4寸より幅大きめ、高さ低め。(欲しい空間サイズわかるのだし既成に倣わなくてもいいのでは?って判断でうちの仔骨サイズ)
(ちなみに本来は塗装あり)

こういうのは、執着に捉えられたり実際そうなったり引かれたりするかもしれないのだけど。ぼくそこには帰れないよとかそこにはいないよとかわかってるよってこと言われても(←)今まで一緒に居させてくれた感謝があるわけで。土に還してあげられる状態でもないし(土地とか住まいとかの関連で)。
心持ちの問題なだけとも思うけど。どうしても既存のかたちに違和感があったので。したいようにしました。






コンタクトに対して感じる気持ちは、利他の心や使命でもなく、「必要であると感じる」という不明瞭な感覚です。
その回答に関して唸るところもあったのだけど。(動物たちがなんら人とかわりないのだという認識のバトンを拡げていきたいとか、一緒に暮らす動物さんとの繋がりを感じたいと望んでいる方の実感を後押ししたいとかいう気持ちはあれど。根幹は、上記に思うんです。)


彼らの認識、彼らの感覚。
知りたいと思う。


伝達技術や表現幅、コンタクト後のフォローアップ等、至らぬ部分も多いと思う。
受け取り、循環させる行為に対しての姿勢も育んでいきたい。