ことばの意味に惑わされない (201709追記)

  07, 2017 07:39
うちの仔と話してる中で最近感じたこと。
ことばの意味に捉われたり一定方向を真実と固定しないほうがいい氣がした。

わたしがしてる行為…アニマルコミュニケーションとして習ったし一般的にその括りだろうけど、テレパシーなのかと思うと”違う”という感覚がずっとあって。(私の感覚からの見解です) 過去のあれはテレパシーか?ってのは無くは無いけどデフォルトの感覚はどうしても「違う」と感じてしまう…。靈感?もよくわからない。
しいてあてはめるとしたらエネルギー変換??のようなもの?に近いような。(全てはエネルギーの交流だろうと言われたらそうなんだろうけど) かたちなきかたち(なんて表現していいのかわからない)を「解読」している、が一番近い感覚かもしれない。
(翻訳や和訳とかでもないような感覚。言葉遊びになってるかもしれませんが)

語彙を深めたいと感じていたのも表現力の話が出たりするのもたぶん無形解読ゆえなんだろう。執拗にあてはまる感触のする箇所のことばを探すのも、不可視を可視化したい為。
ちょっとのズレで音が変わるように、僅差で純度が変わるように感じてしまうから。(純度100は百も承知) (少ない語彙で探すから余計)
(あさっての受取りに関してはこれとは別。接続の問題だと思う)

でもことばありきでない。ことばはあくまで後。


余談。
人への伝達において伝わり難かったり誤解も多いし自覚もある。その中で、以前 ニュアンス会話も主語なし会話も、お互いで対話が成立していた友が居た。
あれはたぶん双方で、発することば+なにか別の場所へも意識を向けてて成り立っていたのではないかなと。
(先にも後にもその子だけでしたけどね 相互で成立してたのは)
他の方でも双方のリズムが同調してる時やツーカーみたいになる時、動きを風の流れに添わせる感覚とか、上記の友もそうだけど、そういう…波長の共有のような感覚に、怒られるかもわからないけど爽快 快感があったりして。
わたしは多分、それが好きで たのしいんだと思う。(胡座をかくのはまた別よ。⇆私へ)
動物との接触にも近い気がする。
だからたぶん、
誰もがしていることで、誰しも可能なんですよ。



閑話休題::追記。
そもそも翻訳とは解読とはなんぞやと調べてたらおもしろい文章を発見。こんな感じなのかもしれない。

私たちは訳すときに、言葉の部品である単語にとらわれる。つい、その単語に囚われて訳そうとするのです。しかし、単語が誕生する瞬間を思い出して欲しいのです。単語が現れる瞬間というのは、なにかこう言いたいことが出てくる。それをなんと言ったらよいのかわからない。この心や頭のなかの状態。悲しいとか、それともハンバーグを食べたいとか、モヤモヤっとしたものが、いろいろある。言葉が出てくるためには、まずそのもやもやが必要なのです。その概念を例えば日本語とか、アメリカ人なら英語とか、ロシア人ならロシア語のコードにしていく。そしてコードにしたものを、声に乗せて音に出すとか、文字にして表現していく (中略)
言葉が出てくるメカニズムは、このモヤモヤから出てくるのです。

表現されたものを、文字とか音で受け取った時に、まずその内容を解読しますね。聴きとって解読する、あるいは読み取って解読する。解読して、ああこれが言いたかったのかと、モヤモヤの正体というものを読み取るのです。そこで、このモヤモヤの正体がわかった所で、理解できた、となるわけです。文字そのものではないのです。ですから通訳する時にはまたこのもやもやを作り出さなくてはならない。

言葉が生まれて
それを聞き取って、
あるいは読み取って、
解読して何が言いたいかという概念を得て、
その概念をもう一度言葉にしていく。
コード化して、音や文字にしていくプロセス。
引用先:米原万里 「通訳と翻訳の違い」(2002講演)Kindle




これをハートでしていけってのが、今課されてる課題です。…たぶん






20170905
関連あるかどうかは微妙ですがPASS記事に続く。