prayers

  20, 2017 03:14
先日 うちの仔が他界しました。
なんどか書きに来たのですが(PCに向かう)その度ことばにならず
先日といいつつ 実は2週間以上前の話です。

あまりに突然で…
でもトリガーになってしまった因はこれだと思う所はあって。
万全を期しさなかった 氣を緩めた自分、さいごのさいごにあのこの源泉にした選択、
前日の 早く帰ろ、早く帰ろの声、次の日のあの仔の仕草 視線、
いまだに心底後悔してて。わんわん涙止まらないし 引かれそうだけど2週間以上火葬への踏ん切りもつかずにいた
あの仔の魂的な部分も體の有り様も仕草も声も まるごとだいっすきで 火葬しない選択は考えてもいなかったけどでも即座にできなかった。離れたくなかった。追いつかなかった。
一週間ほど食べ物は通らなくて目眩と吐き気で失○しながら倒れそうになって(この仔の體をこのままにして意識失えないと必死で 倒れた方が意識保てると思って倒れた)、その後も押し殺していたりすると體に反応出て。
立派なロスといわれるね。(でもロスってなっちゃいけないの?って改めて思った。なっちゃだめ、ならないようにが定説になってるけど。結果的にロスにはなれなくなるというのはあると思うけど、どうしたって駄目な時はだめだしむりだし。感情を抑えたり泣かないようにしなきゃとか笑っていないととか体裁取り繕わないととか 出し切って出し切って感じて感じてっていう 叶わない環境下が一番苦しいんじゃないかとか)

かなしくてかなしくてどうしたってやりきれない中、あの仔の軌跡を残すことにも明け暮れていたけどすがる思いで選択していたのはcontactだった。こんな最中にって思ってもコンタクトを試みてた。
ある側面から見たら妄想にしかなりえないしわたしにとっても第三者にとっても信じる信じないが大きい部分でもあるとも思うけど
でもそうじゃない部分もあることも知ってる 体感もある。
出来ないって思っている時は人に頼ったりもした。頼りたい気持ちもあった。自分の選択が過ちだったと気づいてる、声の響きを聴けているのかの自信も満帆じゃない、でもそれでも 泣きながら コンタクトとることを選択していた。

ことばを介さないこのコミュニケーションを知っていて学んでいて本当に良かったと、たぶん、今回ほどに思ったこともない。
最初は、コンタクトとったって戻ってくるわけじゃない、何の役にも立たないという気持ちもなくなかった。何に対しても受け容れられない状態だった。(あの仔の声すら…拒否していた記憶がある)
體でのコミュニケーションも重要視していたから比重がどちらにもあってどっちも大好きだったから ひとつのコミュニケーションをもうとれないことが、ものすごくさみしくてさみしくてかなしくて じぶんでこの仔の源泉を弱らせる選択をした事が赦せなくて
體に宿ってそばに居てくれるのが一番嬉しいから戻ってきて戻ってきてって無茶なことばっかり言ってた
唯一繋がる一つの方法をどうして自分から閉じることができようかと
その唯一の繋がりを人に明け渡したくないというような独占じみた感覚もはじめて感じ、全靈でするこのコミュニケーションを 神聖なコミュニケーションのひとつなんだ とも感じた。(追記 どんな交流でも神聖である)
大仰にきこえるかもしれないけど。
だからこんなにも大切にしたいと思うのかもしれない


満たされない部分はどうやっても埋まらないとわかってても 離したくない でもなにか なにかと焦る感覚 毛を残したくても體には手を入れたくない気持ち(火葬をエゴで引き延ばしていてもそういうところは気にする) その辺の話を特に相談したわけでもなかったんだけど、そんなわたしに
それで前にすすめるならそうしろっていうの
わたしが體ごと愛してたの知っててそう言う
よすがにでもなるなら毛を残すなり好きにしろという
(メモとってたわけじゃないのでうすら記憶)
その時の男前さ…寄り添い感、生前と何ら変わらない
遺した體に対しどうのというのは無くて わたしが安まる事に焦点があって
(どうしても毛をジャキって切ることは出来なくて そうこうしているうちに尻尾の毛だけするする抜けるようになっていたので(たぶん損傷なんだけど 長い時過ぎたから)少し残させてもらいました。)

なさけないけど、
あの仔が宿る體からあの仔が離れたことへの向き合いをあの仔に支えてもらってる
かなしくてさみしくてくやしくてせつなくて 愛おしくて
こちらが生きることを半ば放棄してたって あの仔が提示してくるのって 進む提示しかしてこない あたりまえのように
泣くなとも言わなかった。一言もまだ言われてない。
(だから余計に 泣いてたら悲しむとか世で言われてるあれも本当なのかなって、個々によるのかもしれないけれど少なくともわたしは今回そういうの微塵も感じなくて。あの仔から受取る感覚…そういう感じは一切受けないんですよ)




この仔との伴走が、何より幸せだった なにより大切だった
出会って 生活も基準も一転してたくさんのことが変わって
楽しくて楽しくてしあわせで嬉しくて よろこびの連続だった
たいせつすぎてそれまでのように怖さ厭わず動くことの融合が出来ず 縮こまりもした
ゆるゆると歳の流れを感じつつ老後のお世話をする気満々だったんです
愛しくて 愛しくて  相思相愛感がこれほどに強いことは初めてで
けど彼は自由で (でもほかの場所に行って欲しくないってすっごくすっごくすっごく思ってるよ)
伝えてくるのは常に「いま」 
一瞬一瞬に生きる、生ききる、その生き様を、焼き付けている記憶や記憶媒体から想い起こされ、自分の選択との違いに気づけば気づくほど後悔がどんどん出てくるのに しあわせな時間や楽しい気持ち 喜びも勢いよく溢れてきて 愛の源泉しかなくて

家に居る時体感としてこの仔を身近に感じたりがなくてさみしいんだけど(ぬくもりとか居る感)、(←んなことなかったみたいです(追記)いま家に居て安らぐのは他でもない あの仔のおかげでした(泣き通しもあります あるんだけど うまくいえないけど 安らむ感覚もあるんです何故か))不思議と外に居て苦しい時にあの仔を感じる(外に出るとすごく辛くなる。何故か)
(年始年末からこっち、わたしこの仔とコンタクト取ろうとした時にこの仔の守り主?ハイヤーさん?に通してもらえなかったことがあった。
以前に見た時は大きな翼だけしかみえなかったけど その時は男性?的な人型?っぽくて謁見はわたしを通して、みたいな感じで止められた。今は会わせてもらえないんだって…記録残してなかったんだけど残しておけば良かったな いつだったのかもわからない)


四方八方に散らばっているような文章になっているけど
大切だと思ったこと、伝えたいと思ったこと、うまく伝えられるかわからないけれど、これから少しずつ 出したり、たいせつにしたいと思っていること こころの声を護っていくを意識してみようと思っています。
自分の感情に対しても深堀りしようとかこの背景には…とか色々考えず、ただそうである、と思って、なんでかなって氣になったらその時に自分にきいてみる。そうしてみようと思う。わたしはずっとずっと前者をしてきたので。
この先も暫くはまだ泣くと思うけど、全ての感情を大切に扱ってゆく
後悔していることもしたかったことも
湧き水のようにくるくるかわるがわるくる感情も
あがってくる気持ち すべて掬いあげていく
いまの感情どんな感情もすべてわたしだけのもので わたしとあの仔との記録でもある



ここにくるまで沢山のいのちとの向き合いが半端だったようにも思う
例外なくだれもが真剣に向き合ってくれていた
のぞむように道を用意されもした わかりやすく指し示されてもいた
でもみてない部分があった 今はそう思う
軌道修正のヒントも受け取ってた でもその先がわからなかった
軸を作らずにいる間 とばっちりを渡してしまった方々がたくさんいる
取り返しがつかない してしまったこと 失ってしまったこと
一番失いたくない存在を望まないかたちで失って
いま この仔のと繋がりだけが頼りで


いままでと同じ螺旋のわたしで居たら たとえ予定があったとしても絶対體を伴って来てくれない(きいたわけじゃないけど確信に近い。ためにならない甘やかしや優しさはしてくれないように思う)そういう気持ちもある
活力あろうがなかろうが 認めれなかろうが赦せなかろうが
ちょっとずつでもいいから
たいせつとおもうこと たいせつにしたいことの再確認と
わたしのために 舵をとる

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動物さんと過ごしているみなさんが 
動物さんと伴に 幸福であるように
愛しい時をありったけ体感できますように









あれだけお勉強してたのに
さいごのさいごまでわたしは誤った
もっと前に軸を固めれてたら
こころを決めれていたら 
向き合えていたら 勇気があったら
あなたをあんなかたちで失うことも 
まだ一緒にいることも出来たんじゃないかって
それはいまでも思うよ
何度思い返しても