霊性・思考・感情・體の分離と再統合

  22, 2017 08:55
(記事は当時に制作 の結構前の話。)
もしかしたら必要な方も居るかもしれないので
(作ってあるだけ記事はわんさかあって 過去話でも必要かなと思ったら開けていくかもしれない)




NVC NONviolence Communication。
ある方にすすめられはしていたけれども全ーーー然惹かれなかったので、先日までずーーっとスルーしていたんです。
年始年末の怒涛の流れの中で(ハイ次ハイ次と高速で課題を出されているような感じでした)人の手を借りてでも早急に解決しないとならない、という件があり、助太刀として選択したのがNVCでした。

NVCってなんぞね という話ですが。
相手を攻撃するんじゃなくてお互いの感情や行動に隠されている本音と本音を手繰り寄せて「そこ」同志で会話をしようというような。(わたしの解釈です)(NVCの中では”ニーズ”と称されてます。正式な?表現はネット検索でも出てくるので探ってみて下さい。)
わたしはNVCについて解説されてもネットで調べて文言を読んでも、全然こころに響いてこなかったんですけど(汗)
実際に行った際、「体感覚」が心と繋がるように感じたんです。

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わたしは長い間、気持ちの背景を追う事に意識を向けていたところがあって。そういう対話をしていた知人が身近に居たのも大きかったと思うんですけど。
なにがしかで自分が揺れた時、何故揺れているのか、どこで引っかかったのか、そういう気持ちの後追いずっとしていたんです。
そしてそれが理に近づく道と信じて疑わなかった節もあったと思う。
(それ自体が間違ってたとかしない方がいいとかそういうことではなく)
NVCで感じたのは、こっちが先か、という感触でした。
わたしの場合は 奥に意識を向けてることが”向き合っているつもり”で、表層の「今の自分の感情」へは既に知ってる感からさほど焦点を当ててなかった。奥が明確になれば解消するだろうと。

NVCで学んだのは、一旦 霊性と思考と感情と體を切り離す、ということ。
感情と體と思考が連動して反応してしまう、その連鎖を一度断ち切る。
文章にすると(しかも私の)伝わりにくいと思うんですけど、一度感情と脳内と體を切り離した体感は、「じぶんに素直になりつつ思考とも連携がとれるというのはこういう感覚なのかももしれない」と思ったんです。
”こころを素に、脳が手助けをしてくれ、體と一緒に叶えにいく”ような… そうか そういう感じになるんだ、これが本来なんだ、というような感触(私的感覚です)
この連携が取れれば取れるほど、上位意識との繋がりも強くなっていくんじゃないのかなぁとも。

問題視していた案件が即座に解消されたかというとそうではなかったんだけど。今まで使ってない回路を使うわけだからそれは致し方ない。
それでもね。心にも思考にも體にも無理をさせない(最終的にはそうなるんじゃないか感)この回路、若干ね アニマルたち植物たちとのコミュニケーションと通じるところがあるようにも思ったり。言葉でのコミュニケーションだけど、アプローチは両方へ作用するような感じも受けたり。
探って探ってぐるぐるしてしまう方、関連性や理由を結びつけて動けなくなってしまう方、こころと行動がちぐはぐになっていると感じる方、何かが引っかかっている人など(もれなくわたしは全部でした)、基本は対:人とのコミュニケーションツールなのだと思いますが、自分との対話にももってこいだと思いました。
(NVC的な自分への意識合わせは、相手に関わらず自分がどの位置からアクションをしているのかも紐解かれていくのかもしれない)


余談ですが。過去の学びから質問の仕方がとっても大事と感じてて。じぶんへの質問でも他者への質問でも 質問の仕方によって欲している回答ではなくなったり、曲解して受け取ってしまったり。ていう事がある、という事は知ってて。(わたしはこの辺下手にも思う)
霊性・思考・感情・體の分離と再統合(再連携)は、そこからの行動・質問力・解決の糸口への意識の向け方にも変化が出せるんではないかなと思ったりもしてます。(後は要持続 継続……)