感知のフィルターでの差異(似たような話ふたつ)+追記

  02, 2017 11:58
いつの話ですか?

って話なんですが: (1つの記事の保存日は去年の12月20日…)
この間の記事で思い出した記事があったので~
下書きから抜粋+追記。感知フィルター?の話です。


いっこめの話。(去年(汗)の話;)
先日(先週)(去年)エネルギーワーク的な会に参加してきました。
主催のまるの日さんが場を調整した空間内で、エネルギーのギブとテイクしてみようという試み。
個人同士ではなく、グループに分かれてグループワークで行っていたのですけれども。 感覚としてうわ~~抜かれてる~~や、いただいてるぞ~~という感じ等な感覚は全く無く。行えてるのか??な相変わらずな感覚だったのですけれども。
パワーストーンワークスの神崎さまも参加されていまして。
神崎さまが行われていたエネルギーテイクのイメージ映像をどうやらキャッチしてたらしい事が帰路途中で発覚。
(詳細blogで既に書かれていますのでリンク 説明しにくいの)

140726017673_TP_V.jpg

ティンシャのようなベルで開始の合図だったんですが、そのすぐあと位からかな?下からぶわーーーーってしゃあーーーって(説明…汗)
ほぼ透明うっっっっすらブルーかかったようなキレ~~~~~な水の噴水みたいな(といっても噴水のような荒いものではなくて、もっともっとずっと粒子が細かくてストレートの膜状のような感じ)のが覆うように結界みたいにみえて(全部目の裏側の話で目視じゃないですよもちろん)。
なんで水のイメージ???わたししてないけど???守りに入ってる誰かの結界????妄想????なにこれ??て思ってて。
帰路途中、ちょうどワーク中の話になったので「そういえばあの時…」って話してみたら。。犯人(笑)は神埼さま(とご一緒に居合わせたPSWのお客さまとの連動)だったという…。
キラキラ。非常に綺麗でした…。光に四方八方に浴びた水の輝きのようで。(海に太陽の光が反射してキラキラする感じ+水の粒子が壁になってる感じ)

特定グループからエネルギーをいただいてみる、というお題目の際、人の頭上??部分が高いというか、塔のような四角錐のように感じたこともあり。
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それはその後あった説明の「エネルギー交換と言ってもその人個人のエネルギーには作用していません。」「各人にエネルギーのコインを上乗せしています」の、それだったのかなぁ??とか。


両者そうなんですけど。
完全にわたし解釈の回転がかかってるよなぁと。。
実際なにがしかを受け取ってはいるのだな、の確認にはなったわけですが。
両方とも 先方が発している形状?というかをそのままを受け取っているならばわかりやすいのに^^フィルターがあるんでしょうね~…
上乗せコインが四角錐、ホースで吸引が水のような噴水結界のようなもの に変換されて感知してるわけで。
自分にはこれだけの差異が生じてるのだなぁと(しかもこれはあの空間だったから成し得た体験であり、自身だけであればもっと精密度はスカスカだろう汗)、知ることにもなりました。

コンタクトの感覚でもこのような違いは存分にありえることで。
(既に受けてくださっている方の中には心当たりがある部分などもあるのではないかと思ったり。)
この辺の感覚がダイレクトになっていくと色々応用や拡張もしていけるのだろうと思ったりなんだりするのは隣の畑は、でしょうかね。

しかし。構えてなくてもこれだけの差異があるのだ…

行く前に、うちの仔とコンタクトとってたのもあったかもしれない。
久しぶりにたくさん、話したのですが、あんなに心の平安を感じたのは正直初めてでした。
(これさあこれこれ書いた時のわたしこの話のメモはどこ????探そう。めもってなかったら殴りに行ってやりたい苦泣)

****


にこめの話。似たような話。これもいつだったか…これもグループワークの際でしたがこちらはもっとズレがあったという話。
あるイメージ画像があって、それを相手側へ伝えてみるというようなお題目の際。そのうちの一つに、実際の画像は水族館の中の海月
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だったのがわたしが受け取ったのは
「全面同じ感じ、森?? 平面みたいな…一面が同じような、森?」という……;
(この森っていうのはわたしの中の自然界の平面とか全面同じ感じのイメージが森くらいしか無かったんですかね…今にして思うと)
答えてる際、送信側の人達の反応がなんとなしに氣になったのですが、実際の中身を知って、なるほど…と。


と、まぁ…これだけの変換の差異が出ているのが現状です。(提示しておくことでの自己フォローか?汗)
こればっかりは自分の落とし先の分析と加味と、経験を積むしか無いと思うので。そこのところは肚をくくりました。



追記: (20170407の記事)
それとは別に、うちの仔と話してる中で感じたこと。
ことばの意味に捉われずにいこうということ。
中身があってことばが生まれているわけだけど、ことばがありきで臨むと本来の中身がみえない可能性もあるような氣がした。
ことばはあくまで舟であり、此方側が定めている認識で(一般論ではなく介在者の解釈が基本?)、現時点での三次元的な解釈ではそうでも三次以外では違うこともあるようだし、向こう岸では単語を重視してない。する時は、対する人間がその単語に対してどのような認識で居るのかどのような思いを持っているのか。そこを視て話されているように感じる。


わたしのこれもアニマルコミュニケーションとして習ったし一般的にその括りだろうけど、テレパシーなのかと思うと”違う”っていう感覚がずっとあって。(私の感覚からの見解です)
過去のあれはテレパシーの部類か?ってのは無くは無いけど、デフォルトの感覚はどうしても「違う」と感じてしまう。靈感?も??。
しいてあてはめるとしたらエネルギー変換??のようなもの?に近いような。かたちなきかたち(なんて表現していいのか)を解読?している?のがわたしの感覚に近いかもしれない。
(翻訳でもないような感覚。言葉遊びになってるかもしれませんが)

語彙を深めたいと感じていたのも表現力の話が出たりするのもたぶん其処なんだろう
情報の単語に対して執拗にあてはまる感触のするものを探すのも多分そこで。ちょっとのズレで音が変わるように、少しの差で純度が変わるような感覚(勿論そのまま無理は100も承知)&わたしの少ない語彙の中で探すから更に、なんですが…
(あさっての受取りに関してはこれとは別で、接続の問題だと思う)

上記とはちょっと違うかもだけど。
翻訳とはなんぞやと調べてたらおもしろい文章を発見。(解読って単語も使われてた) こんな感じなのかもしれない。

私たちは訳すときに、言葉の部品である単語にとらわれる。つい、その単語に囚われて訳そうとするのです。しかし、単語が誕生する瞬間を思い出して欲しいのです。単語が現れる瞬間というのは、なにかこう言いたいことが出てくる。それをなんと言ったらよいのかわからない。この心や頭のなかの状態。悲しいとか、それともハンバーグを食べたいとか、モヤモヤっとしたものが、いろいろある。言葉が出てくるためには、まずそのもやもやが必要なのです。その概念を例えば日本語とか、アメリカ人なら英語とか、ロシア人ならロシア語のコードにしていく。そしてコードにしたものを、声に乗せて音に出すとか、文字にして表現していく (中略)
言葉が出てくるメカニズムは、このモヤモヤから出てくるのです。

表現されたものを、文字とか音で受け取った時に、まずその内容を解読しますね。聴きとって解読する、あるいは読み取って解読する。解読して、ああこれが言いたかったのかと、モヤモヤの正体というものを読み取るのです。そこで、このモヤモヤの正体がわかった所で、理解できた、となるわけです。文字そのものではないのです。ですから通訳する時にはまたこのもやもやを作り出さなくてはならない。

言葉が生まれて
それを聞き取って、
あるいは読み取って、
解読して何が言いたいかという概念を得て、
その概念をもう一度言葉にしていく。
コード化して、音や文字にしていくプロセス。
引用先:米原万里 「通訳と翻訳の違い」(2002講演)Kindle


(この記事はまた4月7日のものなのだけど。ここのメモに「これを、ハートでしていけってのが、今課されてる課題です。…たぶん」と書かれてた…)


人への伝達がわたしはそもそも上手ではなくて、伝わり難かったり誤解も多いし自覚もある。その中で、
以前 ニュアンス会話も主語なし会話も、お互いで成立していた友が居たのですが。あれはたぶん 双方が、発することば+なにか別の場所へも意識を向けてて成り立っていたのではないかなと。
(先にも後にもその子だけでしたけどね 相互で成立してたのは)
他の方でも双方のリズムが同調してる時やツーカーみたいになる時、羽根の流れに添わせるような感覚とか、上記の友もそうだけど、そういう…決して物質的なことじゃない 波長の共有のような感覚に爽快 快感があったりして(相手には怒られそうだけど)。それを多少なりとも好きでたのしんでしまってる部分もあるのかもしれない;
(一線越えないよう自重しないといけません←わたしへ)

動物との交流にも近い気がする。
だからたぶん、誰もが自然としていることで、誰しも可能といわれる所以なのかもしれない。